50代からの旅は「頑張らない」がいちばん心地いい

若いころは、限られた時間の中で「できるだけ多く」を追いかける旅が似合っていました。
けれど50代になると、同じ外出でも、選ぶ基準が少しずつ変わってきます。
「無理なく過ごせるか?」
「帰るころに、気持ちが軽くなっているか?」
そんな静かな物差しが、ふと前に出てくる。
忙しさの中で、心が細かく割れてしまう日もあります。
だからこそ今は、何かを達成するより、歩く時間そのものを味わう散策が合うことがある。
風の通り、木々の音、足音の間(ま)。そういうものが、こちらの呼吸をゆっくりに戻してくれます。
静岡県袋井市の法多山尊永寺は、まさにその「戻り方」がしやすい場所のひとつです。厄除けで知られるお寺でありながら、過度に飾り立てられていない。
参道は自然に包まれ、体力に不安があっても、自分の速度で歩きやすい。
「今の自分たちに合う」と感じやすい理由が、いくつも重なっています。
この記事では、法多山尊永寺を“観光地”ではなく、“過ごす場所”として捉え直しながら、次のポイントを整理します。
頑張らない外出が、なぜ心地いいのか。
その理由を言葉にしておくと、これからの夫婦時間やひとり時間が、少し選びやすくなるはずです。
ノブさん“ちゃんと楽しむ”って、意外と力が入るんだよね。



今日は“ほどく”ほうでいいね。
なぜ今、法多山尊永寺なのか|50代に選ばれる理由


遠州に息づく厄除けの寺・法多山尊永寺とは
法多山尊永寺は、遠州を代表する厄除けのお寺として、長い時間をかけて人々の暮らしと結びついてきました。
由緒を細かく知っていなくても、境内に入ったときに感じる空気があります。
木々がつくる影の濃淡、石の冷たさ、建物の輪郭。そこにあるのは、派手さではなく、積み重なった時間の手触りです。
厄除け観音として親しまれてきた背景には、「節目の年に、気持ちを整える場所」が必要だったこともあるのでしょう。
厄年に限らず、何かの区切り、あるいは区切りが欲しいときに、自然と足が向く。
そんな距離感が、この寺にはあります。




体力も気持ちも“ちょうどいい”と感じる境内の空気
法多山尊永寺が50代に選ばれやすいのは、信仰の意味だけではありません。
歩いていて、疲れ方がきつくなりすぎない。気持ちがざわつきすぎない。
そういう“ちょうどよさ”があります。
賑わいがあっても、音が荒れにくい。立ち止まる余白が残っている。
「見せられる場所」ではなく、「こちらが過ごし方を決められる場所」——その感覚が、安心につながります。
散策は、話しながらでも、黙ってでもいい。
その日の体調や気分に合わせて、速度を変えられることが、この年代にはうれしいポイントです。



“こう回るのが正解”がないのが、助かるな。



うん。今日は、気分のままに歩こ。
法多山尊永寺の紅葉を楽しむ|見頃・見どころ・静かな時間


紅葉はいつが一番きれい?見頃の目安と注意点
法多山尊永寺の紅葉は、例年11月下旬〜12月上旬に見頃を迎えることが多いと言われます。
朝晩の冷え込みと日中のやわらかな光、その差が色づきを進めます。
ただし、紅葉は年によって前後します。気温の推移や雨の具合で、少し遅れたり早まったりする。
日付を決めるときは、「見頃の一点」を狙うというより、直前の情報を軽く見ておくのが現実的です。
そしてもうひとつ。ピークだけが紅葉ではありません。
色づき始めの薄い赤、深まっていく途中、散り際の足元。
そういう“移り変わり”まで含めて歩くと、混雑を避けつつ、記憶に残りやすくなります。








ここは外せない|紅葉が映える3つのスポット
法多山の紅葉は、一枚の絵のように「ここが絶景」というより、歩くうちに少しずつ表情が変わっていくタイプです。
印象に残りやすい場所を3つ挙げるなら、次のあたりです。
・ 参道の紅葉
木々の色が、歩く速度に合わせて視界を流れていきます。風が通ると、葉が擦れる音が先に届きます。
・仁王門周辺
門の重さと、紅葉の軽さ。その対比があるだけで、写真を撮る手も自然と落ち着きます。
・ 境内の奥(人の流れが薄くなるあたり)
人の声が遠のく場所では、紅葉は「眺めるもの」から「包まれるもの」に変わります。静けさを求めるなら、少し奥へ。
人混みを避けて紅葉を味わうコツ
紅葉の時期は人が集まりやすいぶん、時間の選び方が大切になります。
落ち着いて歩きたいなら、平日の午前中が向いています。光が低めの時間は、色が強くなりすぎず、やわらかく見えます。
週末に行くなら、「全部を回る」より、静かな場所をひとつ決めるのがおすすめです。混む場所は通り道として割り切って、静かなところで数分立ち止まる。
そこで呼吸が整うと、混雑の日でも自分の速度が戻ってきます。



混んでても、“静かな一角”があると違うね。



うん。そこだけ時間がゆっくりになる。
参道をゆっくり歩く|50代のための無理しない散策


参道の距離と“写真を撮りながら”の現実的ペース
参道は、散策としてちょうどよい距離感に収まっています。
急かされるような造りではなく、景色の変化が続くので、歩いているうちに「目的地に着く」より「歩いている時間」が主役になりやすい。
写真を撮りながら進むなら、立ち止まる回数は自然と増えます。
紅葉を見て、建物に目を留めて、少し息を整えて——そういう歩き方で、片道は20〜30分程度を目安にしておくと、心にも体にも余白が残ります。




石段や坂道はきつい?正直な歩き心地
参道には石段や緩やかな坂道が点在します。急勾配が連続するわけではありませんが、上りは思った以上に呼吸を使います。
歩幅を小さくして、会話ができるくらいの速度に落とす。それだけで、膝や腰の負担は変わります。
靴は、クッション性のあるものが安心です。
「今日はここまででいい」と区切れることも、散策の一部。無理をしない判断ができるだけで、外出の疲れ方はやわらかくなります。
立ち止まれる場所がある安心感
法多山の参道は、意識せずとも立ち止まりやすい場所が点在しています。景色が少し開ける場所、木陰ができる場所。
“疲れたから休む”ではなく、“見たいから止まる”という流れが作りやすいのが、安心につながります。
速度を落とすと、見えてくるものが増えます。
落ち葉の湿り気、風の抜け方、遠くの音。寺さんぽは距離をこなすより、立ち止まる余白に価値がある——そう感じられる場所です。



“休憩”じゃなくて、“観察”って感じだな



うん。止まるのが、自然だね。
法多山尊永寺で厄を落とす|50代からの厄除け参拝


50代があらためて考えたい「厄除け」の意味
50代になると、「厄除け」の捉え方が少し変わってきます。
厄年という区切りだけではなく、日々の疲れや環境の変化、目に見えない負荷を含めて、一度整えたい気持ちが出やすい時期でもあります。
厄除け参拝は、「何かを強く願って叶える」場というより、自分の状態を確かめる区切りとして機能することがある。
静かな境内を歩いて、手を合わせる。
そういう行為が、生活の中の呼吸を整えるきっかけになります。




はじめてでも安心|参拝の流れと基本作法
参道を歩いて本堂へ向かう流れは、とても自然です。
手水で手を清め、心を切り替える。お賽銭の金額や願いの言葉に正解はありません。
大切なのは、いまの自分にとって「静かに向き合いたいもの」を置いていくこと。
周りの人と比べず、時間をかけたければかけていい。
立ち止まって深呼吸をしてから手を合わせるだけでも、参拝は十分に意味を持ちます。








御朱印とお守り|50代に人気の理由
御朱印やお守りは、派手さよりも「持ち帰ったあとの暮らしに馴染むか」が大切になってきます。
御朱印は、その日そこに立った証として、静かに残る記録。お守りは、心の置き場所をひとつ作るようなもの。
信仰の強さを示すというより、参拝の時間を日常へつなげる役割があります。



“整えるために来る”って、肩が楽だね。



うん。願いすぎないほうが、続く気がする。
参拝後の楽しみ|名物・厄除けだんごでひと休み


なぜ名物?厄除けだんごに込められた意味
法多山尊永寺といえば、厄除けだんご。
参拝で気持ちを整えたあと、だんごをいただいて、日常へ戻る区切りをつくる。
昔から続くその流れが、名物として残ってきました。
本堂で手を合わせて終わりではなく、最後にひと息入れて帰る。
その“間(ま)”があることで、参拝の余韻が雑に消えず、ゆっくりと落ち着いていきます。
何時から買える?売り切れや混雑の目安
だんごは人気があるぶん、紅葉の時期や週末は混みやすくなります。昼前後に人が集中しやすいので、落ち着いて寄りたいなら、午前中の早めや、午後遅めを意識しておくと安心です。
「買えたらいいな」くらいの気持ちで行くのも、50代の外出にはちょうどいい。
混雑を前提に、時間に余白を持つ。それだけで、待ち時間の疲れ方が変わります。




甘すぎないのが嬉しい|50代にちょうどいい味わい
厄除けだんごは、甘さが控えめで、食後に重くなりにくい。
参拝と散策のあと、体と気持ちに負担をかけない味わいが、この場所に似合います。
お茶と一緒に、腰を落ち着けて。
風の音を聞きながらひと口食べると、「帰る」準備が静かに整っていきます。目的はだんごそのものというより、余韻を受け止める時間です。



“締め”って、甘さじゃなくて時間なんだな。



うん。ここで一回、ゆっくり戻れる。
行く前に知っておきたい|アクセス・駐車場・所要時間


車で行く場合|駐車場の場所と料金の目安
車で行く場合、周辺に駐車場は点在しています。場所によって料金や収容台数が異なるため、現地の案内に従うのが確実です。
紅葉シーズンの週末は混みやすく、昼前後は入出庫が重なることもあります。早めの到着、または時間帯をずらす。
そういう小さな工夫が、参道に入る前の疲れを減らしてくれます。
電車・公共交通機関での行き方
公共交通機関の場合、最寄駅からは「歩けなくはないが、やや距離を感じる」ことがあります。
体調や荷物に合わせて、タクシーなどを併用するのも現実的です。
移動で無理をしないと、境内を歩く時間がそのまま心地よさに変わります。
ゆっくり回るなら何時間?モデル所要時間
急がずに回るなら、全体で2〜3時間程度を見ておくと安心です。
参道をゆっくり歩き、参拝し、だんごでひと息。写真を撮るなら、さらに余白を足す。
「想定よりかかってもいい」くらいの設計にすると、法多山の空気に合ってきます。



“余白込みの所要時間”って、いい言い方だね。



うん。最初から急がない予定にしよ。
50代夫婦にすすめたい法多山尊永寺の過ごし方


無理に話さなくても、会話が生まれる場所
夫婦で出かけると、会話が続かない日もあります。
でも法多山尊永寺は、沈黙が気まずくなりにくい。
風の音、足音、木々の揺れる気配。音があるから、言葉がなくても一緒に歩けます。
そして、ふとした瞬間に短い会話が生まれる。
その一言が、十分にその日の記録になります。








「何もしない」が贅沢になる寺さんぽ
若いころの旅は「何をしたか」が前に出やすい。
けれど50代になると、「どう過ごしたか」が残ります。
歩く。立ち止まる。眺める。
それだけで心が整っていく場所は、意外と多くありません。
法多山尊永寺は、“何もしない時間”を肯定しやすい場所です。
帰るころに、余韻が静かに残る。そんな寺さんぽになります。



今日は“話す”より“聞く”が多かったかも。



うん。風の音、ちゃんと聞こえたね。
まとめ|法多山尊永寺は“今の自分たち”に寄り添う寺


法多山尊永寺は、紅葉を眺め、参拝で気持ちを整え、だんごでひと息つく——その流れが自然につながる場所です。
どれかを強く主張しすぎず、観光・信仰・休息が偏らない。そのバランスが、50代の外出にちょうどいい。
歩く距離も滞在時間も、自分で調整しやすい。
「今日はここまででいい」と区切れる設計が、気持ちの負担を小さくしてくれます。
夫婦でも、一人でも、過ごし方を押しつけられない空気があります。
法多山尊永寺は、何かを達成するために行く場所というより、今の自分たちの状態に合わせて使い方を選べる寺。
だから、季節が変わったとき、気分が変わったとき、また思い出せる。
次は紅葉の盛りでも、散り際でもいい。速度だけ、ここに戻しに来るような気持ちで。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。








