観光よりも、心を整える旅へ――静岡・丸子で見つけた“ふたりの癒し時間”
にぎやかな観光地もいいけれど、年を重ねると「静かな場所で過ごす時間」に惹かれるようになります。
人の少ない道、木々の香り、そして深呼吸できる空気――。
そんな穏やかな旅を探している人に、ぜひ訪れてほしい場所があります。
静岡市・丸子(まりこ)の山あいに佇む大鈩不動尊(おおだたらふどうそん)。
滝の音に包まれ、苔むした地蔵が静かに並ぶその風景は、まるで時間がゆっくり流れているかのようです。
観光地の華やかさはありませんが、心がふっと軽くなるような“静寂の魅力”がここにはあります。
古くから修験道の聖地として信仰を集めてきたこの場所は、
自然と祈りがひとつに溶け合う“森の聖域”。
夫婦で歩く参道には、会話をしなくても伝わる穏やかな時間が流れています。
本記事では、そんな大鈩不動尊の見どころや歴史、そして丸子宿や丁子屋など、周辺で楽しめる癒しの寄り道も紹介します。
観光よりも、心を整える旅――。
静岡の森で過ごす“ふたりの時間”を、ゆっくり探しに出かけてみませんか。
第1章 森の中の祈り――大鈩不動尊とはどんな場所?

静岡・丸子の山奥に眠る「知る人ぞ知る聖域」
静岡市駿河区・丸子の山あい。
旧東海道・丸子宿から車でわずか10分ほど。
細い道を抜けた先に、静かに佇むのが大鈩不動尊です。
観光地のような華やかさはありません。
それでも、一歩足を踏み入れた瞬間に、空気がふっと変わるのを感じます。
木々の香り、滝の湿気、鳥の声――。
自然のすべてが、この地を“祈りの空間”にしているかのようです。
この場所は、古くから修験道(しゅげんどう)の行場として知られてきました。
山そのものを神とし、自然に祈る文化が今も息づいています。
観光パンフレットでは目立たないけれど、地元では「知る人ぞ知る聖域」として大切に守られてきました。
人の手による装飾は少なく、苔むした石段や古木が、この地が歩んできた“時の深さ”を静かに語りかけてくれます。



滝の上に佇む不動明王堂 ― 水と炎が交わる神秘の舞台
大鈩不動尊の中心にあるのが、滝の上に建てられた不動明王堂。
滝の正面に立つと、白い水煙の向こうに朱色のお堂が浮かび上がります。
その光景はまるで、自然と信仰が溶け合ったひとつの舞台のよう。
本尊の不動明王は、煩悩を断ち切り、迷いを焼き尽くす守護神。
炎の神が滝の上に祀られている――
この“火と水”“静と動”の対比こそが、大鈩不動尊の象徴です。
滝の音は力強く、それでいてどこか優しい。
立ち止まって耳を澄ますと、まるで読経のように心を整えてくれます。
この場所では、祈りとは声を出すことではなく、自然と呼吸を合わせることなのだと気づかされます。
朝の光が差し込む時間帯には、堂宇が水煙の中で黄金色に包まれる瞬間も。
その幻想的な光景は、まさに“祈りの時間”と呼ぶにふさわしいものです。


天狗と権現が息づく ― 神仏習合が残る森の信仰
大鈩不動尊の魅力は、仏教の寺院でありながら、神道の祠が共に並んでいることにもあります。
境内には、「愛宕権現堂」や「太郎坊・次郎坊権現」など、神道由来の祠が点在しています。
これらは、戦国時代に武田信玄が戦勝祈願に訪れたと伝わる愛宕信仰の名残。
神仏が共に祀られている――
これはかつて日本各地にあった神仏習合(しんぶつしゅうごう)の姿です。
廃仏毀釈の時代を経ても、この地では信仰が絶えることなく守られてきました。
天狗を祀る伝承も残されており、修験者たちを見守る山の守護神として敬われています。
この森には、宗教を超えた「自然への敬意」が生き続けているのです。
滝の音、風の匂い、祠の静けさ。
そのすべてが、人と自然が共に祈ってきた証として、
今も大鈩不動尊の森に息づいています。
ノブさんこの静けさ、まるで森全体が息をしてるみたいだね。



うん。ここにいると、時間の流れまで優しくなる気がする。
第2章 地蔵たちの微笑み――300体の祈りが並ぶ静寂の参道


苔むす石段と鳥の声 ― 心を包む“静けさの道”
大鈩不動尊の魅力を語るうえで、まず印象に残るのは、参道に満ちる静寂そのものです。
入口から続く石段は、長い年月のあいだに雨に洗われ、苔に覆われています。
足を踏みしめるたびに、やわらかく沈む感触があり、足音さえ森の中に吸い込まれていくようです。
鳥のさえずり、時折落ちる雫の音。
人工的な音が一切ない世界では、自然そのものが語りかけてくるように感じます。
心理学的にも、こうした“自然音に包まれる時間”は副交感神経を優位にし、心を安定させる効果があるといわれています。
つまりこの参道は、ただの「道」ではなく、訪れる人の心をゆっくりと整える“癒しの通路”。
50代夫婦にとっては、会話のいらない共有時間を思い出させてくれる空間です。
お互いに無言でも、同じ方向を見て歩く――それだけで、積み重ねた年月の重みを感じられる瞬間があります。


一体ごとに異なる表情 ― 人の想いが宿る地蔵たち
石段の両脇には、数えきれないほどのお地蔵さまが並びます。
その数、およそ300体。ひとつひとつの表情が異なり、すべて人の手で丁寧に祀られています。
古くは旅の安全を願う道祖神として、あるいは亡き人の供養、病や災いからの守護を祈って奉納されたものも多いといわれています。
お地蔵さまは、人々の祈りのかたちであり、それぞれの人生の物語がそこに刻まれているのです。
苔に包まれた小さな姿、首に巻かれた赤いよだれかけ、手編みの帽子。
そのひとつひとつに、誰かの祈りや感謝、そして「もう一度会いたい」という想いが宿っています。
観光の目で見ると「フォトジェニックな光景」に映るかもしれません。
しかし、客観的に見ればここは、“祈りのアーカイブ”ともいえる場所。
地域の信仰文化と人々の願いが静かに重なり合っています。
写真を撮るときも、その背景を思いながら静かにシャッターを切りたいものです。


言葉を超えて伝わる ― 心がふと“ほどける”瞬間
大鈩不動尊を訪れた人の多くが口にするのは、「ここにいると、なぜか涙が出そうになる」という感想です。
それは悲しみではなく、“心の緊張が解ける瞬間”なのかもしれません。
滝の音、風の匂い、そして無数の地蔵の微笑み。
そのすべてが、訪れる人の心に寄り添い、言葉を使わずに「大丈夫」と語りかけてくるようです。
宗教学的にも、こうした体験は「他者との共感」ではなく、“自然との共鳴”による感情の浄化(カタルシス)と位置づけられます。
つまりこの場所は、“癒し”を超えた“内なる再生”の場でもあるのです。
夫婦でこの参道を歩くと、不思議と口数が減っていきます。
けれど沈黙の中にある心の距離は、決して遠くない。
むしろ、同じ景色を見つめることが「絆の再確認」になる――
大鈩不動尊の静けさは、そんな“言葉を超えた対話”を自然に生み出してくれます。



お地蔵さまの顔、ひとつひとつ違うんだね。



人の願いもいろいろだからね。みんな何かを抱えて生きてるんだよ。
第3章 滝と光が奏でる幻想――写真と映像で残す“祈りの時間”


滝の前で立ち止まる ― 水煙の向こうに見える堂宇の姿
大鈩不動尊の象徴ともいえるのが、滝の上に建つ不動明王堂です。
その姿はまるで、水の精霊が守る聖域のよう。
滝壺の前に立つと、細やかな水煙が頬を撫で、ひんやりとした冷たさが心地よく残ります。
水の轟音は、都会のノイズとはまったく異なる“心を鎮める音”。
心理学的にも、一定のリズムをもつ自然音にはα波を促し、ストレスを軽減する効果があるとされています。
つまり滝の音は、自然が奏でる“心の調律BGM”なのです。
堂宇を見上げると、滝のしぶきの中に朱色の屋根が浮かび上がります。
炎の神・不動明王が、水と共に鎮座する――この対比が象徴するのは、「静と動」「怒りと慈悲」という人の内面にあるふたつの側面。
そのバランスを感じ取ることで、心が静かに整っていくようです。
撮影をするなら、午前9時前後の光がおすすめ。
朝陽が斜めに差し込み、水煙の粒子が金色に輝く瞬間――
それは、光そのものが“祈りの形”になったような美しさです。




春夏秋冬、表情を変える森 ― 四季が描く大鈩不動尊の美
大鈩不動尊の魅力は、訪れる季節によってまったく異なる表情を見せることです。
四季の変化そのものが“祈りの風景”になっており、どの季節に訪れても新しい発見がある場所です。
- 春:新緑がまぶしく、地蔵の苔がいっそう鮮やかに。桜の花びらが滝に舞い、命の再生を感じる季節。
- 夏:滝の水量が増し、涼を求めて訪れる人も多い。湿った空気が木々を潤し、生命の息吹を感じる。
- 秋:紅葉が滝を囲み、赤・橙・金が溶け合う幻想の世界。夕暮れ時の柔らかな光が写真映えする。
- 冬:森全体が静寂に包まれ、霜が石段を白く染める。澄んだ空気が滝音をいっそう際立たせ、無音の美を体感できる。
写真家の間でも「同じ構図でも季節でまったく印象が変わる」と語られます。
客観的に見ても、ここは自然・信仰・芸術が融合した“静岡の生きた風景遺産”といえるでしょう。
また、近年はドローンやスロー動画で滝を収める人も増えています。
ただし環境保護の観点から、立入禁止区域を守ることが大切です。
静けさを壊さず、ありのままの自然を伝える――それが現代の巡礼者に求められるマナーです。




夫婦で歩く“静の参道” ― ふたりの呼吸が自然と重なる瞬間
滝から続く石段の道を、夫婦でゆっくり歩いてみると、自然と呼吸のリズムが合っていくのがわかります。
誰かに合わせるのではなく、森のテンポに身をゆだねているうちに、“ふたりの歩幅”が調和していくのです。
結婚生活が長くなるほど、言葉よりも空気で伝わることが増えていきます。
この参道を歩く時間は、そんな“沈黙のコミュニケーション”を思い出させてくれる貴重なひととき。
また、森林浴効果も抜群です。
静岡市の環境調査によると、丸子地区の森は市街地より平均気温が約3度低く、湿度と木陰がもたらすリラクゼーション効果が非常に高いと報告されています。
滝の音、木漏れ日、森の香り。
そのすべてが「少し立ち止まってもいい」と教えてくれる。
観光ではなく、心を調えるための小さな旅――
それが、大鈩不動尊で過ごす夫婦の時間なのです。



滝の音って、見てるだけで心が整っていくね。



そうだね。たぶん“静かに生きる力”って、こういう音からもらえるんだよ。
第4章 丸子で味わう癒しの寄り道――歴史と食が満たす旅の終わり


東海道の宿場「丸子宿」で出会う江戸の風景
大鈩不動尊の静寂を後にして山を下ると、すぐそばに広がるのが旧東海道・丸子宿(まりこじゅく)です。
江戸時代、旅人たちが足を休めたこの宿場町には、今も当時の面影が色濃く残っています。
丸子宿は、徳川家康が整備した「東海道五十三次」の中でも、特に情緒豊かな宿場として知られています。
浮世絵師・歌川広重の代表作『東海道五十三次・丸子 宿』にも描かれ、当時から「とろろ汁の宿」として旅人の疲れを癒してきました。
道沿いには白壁の蔵や瓦屋根の町家が並び、現代の街並みに溶け込みながらも、どこか懐かしい空気を漂わせています。
観光地化されすぎていない点も、落ち着いた大人旅には嬉しいところです。
地元ガイドによれば、丸子宿は「歩いて歴史を感じる宿場」として再評価が進んでおり、静岡市の文化財保存エリアとしても整備が進んでいます。
50代夫婦の旅にはぴったりの、“静かな時間が流れる場所”といえるでしょう。
名物・丁子屋のとろろ汁で体の芯からほっと一息
丸子といえば、外せないのがとろろ汁の老舗「丁子屋(ちょうじや)」。
創業はなんと慶長元年(1596年)。
400年以上の歴史を誇る老舗であり、広重の浮世絵にも描かれた「丸子宿の象徴的存在」です。
看板メニューの「とろろ汁」は、地元産の自然薯(じねんじょ)をすりおろし、温かい麦ごはんにたっぷりとかけていただく素朴な一品。
強い粘りと香り、口に含むと広がる山の滋味が、旅の疲れをやさしく包み込みます。
栄養学的にも、自然薯は消化酵素が豊富で、疲労回復や胃腸の働きを助ける効果があります。
大鈩不動尊の山道を歩いたあと、心と体を整えるにはまさに最適。
「旅の締めくくりにふさわしい癒しの食」といえるでしょう。
店内からは丸子川のせせらぎが見え、囲炉裏のある客席では、古き良き日本の風情をそのまま感じられます。
観光名所というよりも、“日常を忘れるための小さな非日常”。
食を通して、夫婦で静かに「ありがとう」と言葉を交わしたくなる――そんな温もりがあります。
丸子川沿いを歩く ― 花と水音に癒される夫婦の散歩道
食後のひとときには、丁子屋の裏手を流れる丸子川沿いの小道を散策してみましょう。
川幅は狭く、水音が静かに響くその小道は、地元の人々に愛される“癒しの散歩コース”です。
春には菜の花や桜、初夏には紫陽花、秋には彼岸花。
四季折々の花々が、旅の余韻をやさしく包み込みます。
遠くに富士山が姿を見せる日もあり、カメラを手に歩くのにも最適です。
環境省の調査によると、この丸子川流域は水質が安定しており、魚や水鳥の生態系が豊かに保たれています。
つまりここは、単なる観光地ではなく、「人と自然が共存する生活の風景」なのです。
夫婦で歩くその道には、喧騒とは無縁の穏やかな時間が流れます。
話さなくても伝わる、沈黙の中のやさしさ。
旅の終わりに感じるのは、「また一緒に来たいね」という素朴な想い――。
丸子川のせせらぎが、それを静かに後押ししてくれます。



丸子宿の通り、江戸の人も同じ風景を見てたのかな。



そうかもね。とろろ汁を食べながら、“旅っていいな”って思ってたかも。
第5章 信仰が息づく森――大鈩不動尊のご利益と祈りのかたち


不動明王の炎が導く ― 迷いを断ち切る守護の力
大鈩不動尊の中心に祀られるのは、不動明王(ふどうみょうおう)。
密教において「大日如来の使者」とされ、煩悩や迷いを焼き尽くし、正しい道へ導く存在です。
炎を背負ったその姿は、怒りではなく“慈悲の化身”。
人々を恐れではなく「覚悟」で目覚めさせる仏といわれています。
不動明王が手にする倶利伽羅剣(くりからけん)は迷いを断ち、羂索(けんさく)と呼ばれる縄は迷える心を引き戻す象徴。
滝の上に建つ不動堂は、この不動明王の「力と静けさ」を同時に体現しています。
滝の水音と炎のイメージ――相反する二つが共存する光景は、人の心にある“葛藤と調和”を映し出しているようでもあります。
宗教学的に見ると、不動明王信仰は「行動の仏」とも呼ばれます。
願うだけでなく、自らの意志で一歩を踏み出すことを促す教え。
それゆえ、この地を訪れる人々は、「立ち止まり」「整え」「また進む」ためにここへやって来ます。
現代でも、不動明王は「心の守護神」として多くの人に信仰されています。
人生の転機、仕事の岐路、健康への祈り――その形はさまざまですが、どれも「前に進みたい」という人の願いに通じています。




夫婦で手を合わせる ― 感謝と再出発の祈り
50代の夫婦にとって、旅の目的は“非日常を楽しむ”ことだけではありません。
長い時間を共に過ごしてきたからこそ、「ありがとう」と素直に伝えられる時間が大切になります。
大鈩不動尊の境内では、若い参拝者に混じって、熟年の夫婦の姿も多く見られます。
手を合わせる姿は、願いというより“感謝”の祈り。
病を乗り越えたこと、子どもの成長、そして「今も隣にいること」。
そのすべてに静かに手を合わせる――それがこの場所の祈りの形です。
心理学的にも、“祈る”という行為は心を整理し、感情をリセットする作用があります。
祈ることで心が落ち着き、過去の出来事を受け入れやすくなる。
特に夫婦で同じ方向を見て祈ることは、「二人の時間軸を再び重ねる」儀式としての意味を持ちます。
大鈩不動尊は、SNSでは「癒しスポット」として紹介されることも多いですが、その本質は“心の再生の場”。
観光ではなく、人生の節目で訪れることでこそ、その静けさの価値が深まります。




毎月28日は縁日の日 ― 地元に愛される“祈りの朝市”
大鈩不動尊では、毎月28日に「不動縁日」が開かれます。
古くから“不動明王のご縁日”とされ、この日には参拝者が特に多く集まります。
境内から参道にかけては、地元の方々による朝市が立ち並びます。
新鮮な野菜や漬物、手作りの陶器や和菓子――
その光景は、まるで小さな町の文化祭のよう。
宗教行事でありながら、そこに堅苦しさはなく、「地域が息づく社の市」として、観光客も地元住民も一緒に楽しめる空間です。
参拝と買い物が一体化したこの縁日は、現代社会における“信仰と生活の共存”を象徴しています。
経済的な観点から見ても、こうした縁日は地域経済の循環に貢献しており、静岡市が推進する「ローカルツーリズム」との親和性も高い取り組みです。
地元の野菜や陶芸品を手に取りながら、訪れる人々が「祈りの形を暮らしの中に取り戻す」――
それが、この縁日の最大の魅力です。
そして何より、この朝市では人の温もりに触れられます。
「遠くから来たの?」「今日は滝もきれいだよ」――
そんな素朴なやり取りが、観光ではなく“交流”を生み出していくのです。



手を合わせると、不思議と心が軽くなるね。



願いごとよりも、“ありがとう”を伝えるとそう感じるんだよ、きっと。
第6章 行き方・駐車場・撮影ヒント――快適に楽しむための実用ガイド


アクセス方法まとめ ― 車・バス・徒歩ルートを詳しく解説
大鈩不動尊(おおだたらふどうそん)は、静岡市駿河区丸子(まりこ)の山あいに位置します。
静岡市中心部からのアクセスは良好ですが、山道を通るため事前のルート確認が大切です。
▶ 車でのアクセス
・静岡ICから国道1号線を経由し、丸子宿方面へ。
・丁子屋を過ぎたあたりで「大鈩不動尊入口」の案内板を左折。
・所要時間はおよそ25分前後です。
道中は景観が良く、春や秋にはドライブにも最適。
ただし山に近づくにつれて道が細くなるため、スピードを落として安全運転を心がけましょう。
▶ バス・公共交通機関の場合
・静鉄バス「中部国道線」または「丸子線」に乗車し、「丸子営業所」で下車。
・下車後は徒歩約30分。緩やかな坂道と森の道を歩く“プチ登山感覚”のルートです。
徒歩が難しい場合は、丸子宿周辺からタクシー利用がおすすめです。
▶ 徒歩・ハイキングルート
・丸子宿から不動尊までの道のりは、かつて修験者たちが歩いた信仰の道。
・所要時間はおよそ40分で、地元では「丸子ウォーク」として親しまれています。
・歩く際はスニーカーなど滑りにくい靴を着用し、飲み物を携帯すると安心です。
Googleマップ検索キーワード:「大鈩不動尊 駐車場」または「静岡市 駿河区 丸子 大鈩不動尊」
駐車場は無料!ただし道幅注意 ― 安心ドライブのポイント
大鈩不動尊には、参道手前に無料駐車場(普通車約5台分)が整備されています。
週末や縁日(毎月28日)は混雑しやすいため、午前中の早い時間帯の到着が理想です。
道中は一部が狭く、すれ違いが難しい箇所もあるため、
運転に自信のない方は軽自動車やコンパクトカーの利用をおすすめします。
ナビ上では「舗装路」と表示されますが、実際は山道特有のカーブが続くため注意が必要です。
地元住民によると、観光客の増加に伴い、譲り合いのマナーが大切とのこと。
特に参拝者が徒歩で上っている場合はスピードを落とし、歩行者優先を心がけましょう。
駐車スペース周辺は自然豊かで、エンジンを切ると鳥の声と滝の音だけが響きます。
到着したら一度深呼吸し、「日常から旅への切り替え」を感じてから参拝へ向かいましょう。


撮影と参拝のマナー ― 静寂を守る“心くばり”を忘れずに
大鈩不動尊は、「撮影スポット」としても人気の高い場所です。
特に滝と堂宇を一緒に収めた構図は圧巻で、SNSでも多くの写真が投稿されています。
しかし、ここは同時に「祈りの場」でもあることを忘れてはいけません。
撮影時の基本マナー
- 他の参拝者の写り込みに注意:特に祈りの最中の人を撮らない。
- 三脚使用は控えめに:混雑時や通路では危険となるため、短時間で。
- フラッシュは禁止:自然光を活かし、静かな雰囲気を壊さないように。
また、地蔵や祠をクローズアップで撮る場合は、一礼してからカメラを構えるのが望ましいとされています。
宗教的な意味にこだわらずとも、それは“撮らせてもらう敬意”として伝わります。
さらに、ゴミの持ち帰りや静音設定の使用など、細やかな気配りも忘れずに。
こうしたマナーを守ることが、「静岡の心を撮る」という大鈩不動尊の本質につながります。
カメラを置いたあと、ぜひ数分だけ滝の前で目を閉じてみてください。
レンズ越しではなく、自分の心で風景を感じる時間――
それこそが、この地が“癒しの森”と呼ばれる理由なのです。



この坂道、ちょっとキツいけど、景色がごほうびだね。



もう少しで滝の音が聞こえるよ。ほら、がんばって。
第7章 静岡の隠れパワースポット――夫婦で訪れたい“心の巡礼地”


「観光」ではなく「心の巡礼」へ ― 静けさを求める大人旅
静岡市・丸子の山奥にある大鈩不動尊は、単なる観光地ではなく、「心を整える場所」として訪れる人が増えています。
SNSや旅行サイトでも“隠れパワースポット”として紹介されますが、実際に足を運ぶと、華やかさよりも静けさに心を奪われる――
その静けさこそ、現代を生きる人にとっての贅沢なのかもしれません。
観光地といえば、見どころや撮影スポットを巡る“チェック型の旅”を思い浮かべます。
しかし、大鈩不動尊の魅力は、「何もしない時間」にこそあります。
滝の音に耳を澄ませ、地蔵の前で立ち止まり、ただ深呼吸をする。
そんな“空白の時間”が、心を静かにリセットしてくれるのです。
旅行心理学の研究によれば、「静寂のある旅」はストレスの軽減や睡眠の質向上に効果があり、特に50代以降では「目的よりも心の回復」を求める傾向が強まっているといいます。
つまり、大鈩不動尊のような場所は、“心の巡礼地”としての新しい価値を持っているのです。




夫婦の歩幅を合わせる旅 ― 会話よりも“共有する時間”
大鈩不動尊を訪れる夫婦の多くは、特別な目的を持たずにこの地を選びます。
それでも参道を歩くうちに、自然と会話が減り、沈黙が心地よくなる――。
そんな声が多く聞かれるのも、この場所ならではの魅力です。
心理学的に見ると、長年連れ添った夫婦ほど、「共同行動の共有」が絆を深める要素になるといわれています。
同じ景色を見て、同じ音を聞く。
それだけで、相手との距離が近づくのです。
参道の石段を上るとき、無意識に歩幅を合わせる。
滝の前で立ち止まると、どちらからともなく深呼吸をする。
言葉にしなくても、心のテンポが自然と重なっていく――。
この“沈黙の共有”こそが、大鈩不動尊が夫婦旅に向いている理由です。
また、近年の国内観光トレンドでは、「癒し」「再発見」「夫婦再生」といったキーワードが注目されています。
静岡は、その3つをすべて兼ね備えたエリアとして全国的にも評価が高く、大鈩不動尊はその象徴的存在。
まさに“夫婦で訪れるべき静寂の森”といえるでしょう。


静岡ブースト的まとめ ― 「心を整える旅」シリーズへつなぐ
静岡ブーストではこれまでにも、「久能山東照宮」「御穂神社」「三保の松原」など、
“静岡の心に触れる旅”を数多く紹介してきました。
その中でも大鈩不動尊は、派手さこそないものの、“静かな力”を感じさせる場所として特別な存在感を放っています。
現代人が忘れかけた「祈る」という行為を、自然の中でそっと思い出させてくれる――。
それが、この森の最大の魅力です。
今後の「心を整える旅」シリーズでは、
- 森の中で呼吸を整える癒しの場所
- 歴史と信仰が共存する静岡の聖地
- 夫婦で再び歩きたくなる“静寂の旅路”
といったテーマで、静岡の深層にある“心の風景”を掘り下げていく予定です。
旅は、遠くへ行くことだけが目的ではありません。
心が少し軽くなる、そんな場所に出会うことこそが、本当の旅の価値。
そして静岡には、その“心の居場所”が、まだ数多く残されています。



観光じゃなくて“心の旅”って、こういうことかもな。



うん。遠くに行かなくても、ふたりで歩けばそれで十分だよ。
結論・まとめ


滝の音、地蔵の微笑み、木漏れ日の参道――。
そのひとつひとつが、訪れる人の心をやさしく包み込みます。
静岡・丸子の山あいに佇む大鈩不動尊(おおだたらふどうそん)は、派手な観光名所ではなく、心を静かに整えるための場所。
滝の水音に耳を澄ませ、地蔵たちの穏やかな表情に見守られながら、いつのまにか“心の力み”がほどけていくのを感じます。
夫婦で訪れれば、きっと言葉よりも深く伝わる瞬間があるでしょう。
同じ景色を見つめ、同じ空気を吸う――
そんなささやかな時間の中に、「これからも一緒に歩いていこう」という想いが、静かに芽生えていきます。
大鈩不動尊は、観光地ではなく“心の休憩所”。
忙しさに追われた日々のあとに、もう一度、自分と向き合うための場所です。
次の休日、少しだけ足を延ばしてみませんか。
静岡の森で、“ふたりの静かな時間”を取り戻す旅へ――。



今日の静けさ、なんだか胸に残るね。



また来ようよ。季節が変わるたびに、きっと違う静けさがあるから。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



2025年度、最後の記事になります。
一年間ありがとうございました。
良いお年をお迎えくださいね!








